そもそもお互いが他人であることをもう一度確認しよう
全世界のみなさまの頭の中には、こういう感じでいっしょになって結婚してという大まかな理想の考えがあると思います。
それはそのまま思っていて大丈夫ですし、無いよりあったほうがより自分が思う幸せに近づいていきやすいです。
いいんです、その理想を掲げたままで幸せをつかみに行ってください。
ただ、一旦立ち止まって考えなおして欲しいんです。
どんなに相手が好きでも、そもそもが他人同士だということ
これがいわゆる恋愛脳になっているときは、ほとんどの人の頭の中から無くなっているんですよね。
恋愛脳の時は、脳が茹で上がっているようなオーバーヒートに近い様子になるので、仕方がないのかもしれませんね。
ただし、何かが起きてふと冷静になったころに思ってしまうんです。
なぜわたしはこの人と一緒にいるのだろうか?と。
おかしいですよね、あれだけ好き好き言っていたのに、気づいたら違和感ばっかり。
人にもよりますが、相手のために自分を犠牲にして、全てをささげるかのごとく一緒にいたわけですから。
そう思ってしまうのは、脳が一時的にオーバーヒートに近いようすになっていたからですね。
そこから、目の前にいる人は他人だったと思い出すんです。
難しい人もいるでしょうが、どんなに好きでも相手はどこまでいっても他人なので、自分と違う人だと思いながら相手に接していきましょう!
相思相愛、以心伝心は最低限に考えておこう
特に日本においては、相思相愛や以心伝心のうつくしさについて書かれることが多いです。
しかもほとんどの日本人の頭の中に、このうつくしさがなぜか入っていて当たり前だと思っている人がほとんどです。
冷静に考えればおかしな話なのですが、日本人の美意識としてずっと残っていますよね。
「わびさび」から来ているのでしょうか?
相手は自分とは違う人間で、他人ですから、考えが全ていっしょになることが当たり前になったら恐ろしいんですよ。
そうしたら、この世の個性は必要ありませんよね?ロボットがいればいいわけですから。
しかし、生きている人間にはそれぞれ人とは違う個性があります。三者三様、十人十色、千差万別と言われるようにです。
もちろん、相思相愛、以心伝心には良い面もありますよ。
お互いが共通にわかることは楽になるということ
日本人であれば、わざわざ書かずとも知っていると思います。
楽なんですよね、お互いが分かっていると何もかもが。
お互いが意識していたり、お互いがわかる言葉があったらすぐに伝わるからです。
日本一短い会話は、秋田弁の「け」「め」「く」ですが、ここまで短くとも伝わってしまうのです。
なので、元は他人同士ですが、だんだんとお互いがわかることに良しとしてなあなあになっていくのです。
お互いが楽をするのはいいですが、使い過ぎには気を付けていきましょう!
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